兎我野町はこんなまち

兎我野町の今 24時間楽しめる安全なまち

大阪・キタは、大阪の玄関口として、昼間人口が353万人を誇る、日本を代表するメガロポリスです。
1日の平均利用者数が85万人にのぼるJR大阪駅をはじめ、JR北新地駅、阪急大阪梅田駅、大阪メトロ梅田駅、東梅田駅、西梅田駅、阪神大阪梅田駅と多数の駅を抱え、全体での乗降者数は237万人にのぼる、全国屈指のターミナルです。
また、現在でもまだまだ増え続けるショッピングゾーンは、毎週180万人以上もの来街者を引き寄せていると言われており、国内のみならず世界中から観光客が訪れるまちでもあります。

そんな大阪・キタの南東、新御堂筋と寺町筋に囲まれたエリア、Whityうめだ・泉の広場の北東に広がるエリアが兎我野町です。

ホテルなどの宿泊施設はもとより、居酒屋、大阪B級グルメ、中華料理やイタリアンをはじめとした各国料理店、海鮮系から焼肉店、寿司店、バー、クラフトビールが楽しめるスポットからカフェまで、大阪が誇るクオリティの高いグルメが堪能できるまちであり、遊技、ダンス、ライブ、ショー、マーダーミステリーゲーム…さまざまなエンターテインメントを発信し続けています。
また、ドラァグクイーンらLGBTQの人々がここから世界に向けて発信する新しいライフスタイルは、兎我野町が持つ多様性のひとつのかたちとして、注目を浴びています。

他、駐輪場、バイク専用駐輪場、コワーキングスペース、パーソナル・トレーニング・ジム、語学教室、保育園など、このまちで暮らす人々やビジネスワーカーに重宝する施設も、じつはたくさん点在しており、遊ぶだけのまちではなく、暮らしのまちでもあるのです。
暮らす人がいるぶん、「安心」で「安全」に過ごせるよう、まちを下支えしている人がたくさんいます。

大阪・キタやそこに含まれる兎我野町は、一見無機質に見えるメガロポリスでありながらも、じつは人と人とが密につながっており、24時間安全なまちを目指しています。

兎我野町の歴史 かつて門前町として栄えたまち

兎我野町の歴史は古く、日本書紀や古事記にすでに「兎我野」の地名が登場するそうです。
仁徳天皇が鹿の鳴く声を聞き、秋を涼んだというエピソードが残されています。
また、兎我野町に鎮座(現在は豊中市に移転)していた不動寺の寺伝によると、弘法大師が諸国巡業中に兎我野の地で七色の光を放つ石を見つけ、 これを五輪宝塔に仕上げ、不動明王の梵字を刻み本尊とし、不動堂を建ててお祀りをしたのがはじまりと著されているそうです。そんなことからも、古代より兎我野の地には文化的な営みが存在していたと言えるかもしれません。

嵯峨天皇の勅願で弘法大師が太融寺を創建したのが弘仁12年(821)。
平安時代の承和10年(843)には、綱敷天神社が創建されました。菅原道真が太宰府に流される途中に梅を見るために綱に座ったことからその社名がついたと言われています。綱敷天神社には、兎我野町の氏神さまがお祀りされています。
これらの寺社の創建をきっかけに門前が少しずつ整備され、兎我野町にも社寺関係者や参拝客を相手にする商工業者が集まり、にぎわいが創出されていったと考えられます。
江戸時代になると、現在の寺町通と新御堂筋に囲まれた兎我野町はほぼ市街化され、門前町としてますますにぎわっていきます。
現在の兎我野町は世界中からの観光客をお迎えする「おもてなし」のまちとなっていますが、そのルーツはこの時代にまで遡ることができるかもしれません。

大阪駅や各線梅田駅が誕生した明治7年(1874)あたりを境に宿泊施設が増え、宿泊客らに娯楽を提供する飲食店やエンターテインメント施設が多数出現し、兎我野町は観光客を受け入れる「おもてなし」のまちとしての性格を確立し、現在に至ります。

また、都市化が進んだことで寺院の維持が困難になり、他に移転する寺院が増えるようになります。そのため、寺町の名残と現在の歓楽街が共存し、過去と現在が交錯する不思議な光景がひろがり、他には見られない、独特の雰囲気を漂わせています。

兎我野町の取り組み 防災・防犯の取り組み

近い将来、日本列島太平洋の広い範囲を震源とする「南海トラフ地震」が必ず発生すると予測されています。震度6弱以上の強い揺れに加え、大阪市の多くの地域が津波による浸水被害を受けると想定されています。
大阪市の地形は比較的平坦であるため、津波や河川氾濫から身を守るためには少しでも早く「高い」場所(建物の各浸水想定の浸水深よりも高い位置の階)に避難する必要があります。
そこで、大阪市では津波避難ビルの確保に取り組んでいますが、兎我野町では、以下の2ビルが津波避難ビルとして大阪市と協定を締結しています。
・123+N大阪本店
・兎我野町聚楽マンション

また、
・「123+N大阪本店」には青色パトロールカーの駐車
・「ホテル法華クラブ大阪」には夜警設営の協力
・ホテル関西のコワーキングスペース スマートスペースカンサイ」の地域への安価提供

など、防犯の面から積極的にCSR活動をおこなっていただいている企業が存在することも、兎我野町の特徴です。

さらに、
・大阪府警の防犯カメラ
・北野連合の防犯カメラ
・町会のカメラ
・民間ビルのカメラ
・違法な看板や路駐を排除

など、犯罪抑止に特化し、維持しているのも特徴です。

歓楽街の中でも車両進入が可能なエリアであり、道路幅員も広いくポテンシャルがあるため
安全確保のため速度30km規制の「ゾーン30」エリアに指定されている特徴があります。

兎我野町にある施設

保育施設

保育所型認定こども園
きたの旭ヶ丘学園

きたの旭ヶ丘学園

兎我野町3-10

ビルに囲まれながらも、屋上園庭や大きな保育面積を持ち、さまざまに工夫された設備や保育室は、子どもたちにとって快適な空間を実現したこども園です。北区で1953年(昭和28年)の創立以来「明るく・正しく・仲よく」という変わることのない仏教理念に基づく保育方針をもとに、明るく優秀で、経験豊かな保育教諭により、質の高い保育を実践している学園です。
→ 保育所型認定こども園 きたの旭ヶ丘学園

企業主導型保育事業
つくし保育園 

つくし保育園

兎我野町4-21 Comenz梅田1F

少人数制の充実した保育体制に加え、午睡センサーなどの最新技術を導入した万全の安全対策、更にICTシステムの導入で保育員の余分な負担を減らし、より内容の高く愛情あふれる育みをおこなっている保育園です。企業主導型保育園のメリットを最大限に活かし、地域貢献にも取り組んでおられます。
→ つくし保育園

宿泊施設

丸一ホテル

兎我野町12-15
→ 丸一ホテル

ホテル法華クラブ大阪

兎我野町12-19
→ ホテル法華クラブ大阪

ホテル関西

兎我野町9-15
→ 
ホテル関西

梅田プラザホテル

兎我野町3-5
→ 梅田プラザホテル

HOTEL Gray

兎我野町4-7
→ HOTEL Gray

HOTEL GrayⅡ

兎我野町9-13
HOTEL Gray Ⅱ

Minn 東梅田

兎我野町2-5
→ Minn 東梅田

梅田ホリックホテル

兎我野町5-2
→ 梅田ホリックホテル

ホテルマカロニ

兎我野町10-15 大阪屋58番館 4f
ホテルマカロニ

寺社

綱敷天神社

神山町9-11
→ 綱敷天神社

綱敷天神社は私たち兎我野町の氏神さまをお祀りする神社です。
主祭神は、嵯峨天皇、菅原道真。

社伝によれば、平安時代の弘仁13年(822)、摂津国菟餓野に嵯峨天皇が行幸し、現在当社がある神山町の地にあった神山の近くに頓宮を構えたことが縁となり、皇子の源融が天皇崩御の後に追悼のためこの地に七堂伽藍を興して太融寺を創建、次いで承和10年(843)に嵯峨天皇を祀る社として「神野太神宮」を創建したのが、綱敷天神社の前身にあたるとのことです。

昌泰4年(901)1月、右大臣・菅原道真が無実の罪で大宰府に左遷させられる際にこの地に着いたところ、一本の紅梅が今を盛りと咲き匂っており、しばしこの梅を眺めるため、船の艫綱(ともづな)をたぐりよせて即席の座席としたことが現在の社名となっている「綱敷」の由来であると縁起にあります。
その後、道真は大宰府の地にて死去し、一族は道真の愛でた紅梅の元に小祠を営み「梅塚」と称して道真を祀りました。この梅塚は後に梅塚天満宮となり、茶屋町にある御旅社の前身となっています。また、その紅梅が「梅田」の梅の字の由来となったともいわれています。

なお、「兎我野町」(トガノ/斗賀野)の地名は日本書紀や古事記にも出てくる古いもので、一説によると、トガノは梅田の旧称であり、最も古い地名ひとつとも言われています。

佳木山 太融寺

太融寺町3-7
→ 太融寺

大融寺は、兎我野町の北側に位置する名刹です。伝承によれば、弘仁12年(821年)、弘法大師がこの地にあった霊木から地蔵菩薩と毘沙門天を作製し、それを祀る草庵を結んだことがはじまりとされています。翌年には嵯峨天皇の勅願により弘法大師が天皇の念持仏である千手観音を本尊として正式に寺院としたと伝えられています。
承和10年(843年)に嵯峨天皇の皇子である左大臣源融によって境内地が広げられ、八町四面の七堂伽藍が建立されました。その際、山号を佳木山とし、源融の名から寺名を太融寺と改め、以後は浪華の名刹として参詣者でにぎわいました。
慶長20年(1615年)5月の大坂夏の陣の兵火で全焼しましたが、元禄年間(1688 – 1704)に本堂など25の諸堂が再建され、現在に至っています。
余談ですが、1880年(明治13年)には当寺で国会期成同盟が結ばれて全国に自由民権運動が広まっていきました。

露 天神社(お初天神)

曽根崎2-5-4
→ 露 天神社(お初天神)

露 天神社は、兎我野町から新御堂筋を挟んだすぐ南東に鎮座しています。
社伝によれば、この地はかつて曾根崎洲という大阪湾に浮ぶ孤島で、そこに「住吉住地曾根神」と祀っていたとされています。創建は大宝元年(701年)頃とされ、「難波八十島祭」旧跡の一社とされている。社名は、菅原道真が太宰府へ左遷される途中、ここで都を偲んで詠んだ一首にちなんで名付けらています。
時代が下り、近世の元禄16年(1703年)、堂島新地の天満の遊女・お初と内本町平野屋の手代・徳兵衛が天神の森(現在の社の裏手)にて心中を遂げました。1ヶ月後、近松門左衛門はこの2人の悲恋を人形浄瑠璃『曽根崎心中』として発表したところ、当時の大きな話題となった。事件の神社は一躍有名となり、そのヒロインである「お初」の名前から以後今日に至るまで「お初天神」と通称されています。

回向山 法界寺

法界寺

兎我野町15-2
→ 法界寺

法性山 善覚寺

兎我野町15-21

高照山 本傳寺

本傳寺

兎我野町14-3

補陀落山 圓通院

円通院

兎我野町7-8

清風山 妙香院

妙香院

兎我野町7-6

松濤山 龍渕寺

龍淵寺

兎我野町1-3

駐輪場

バイク専用駐輪場
バイク’s 24H 聚楽マンション

兎我野町9−2 聚楽マンション1F

バイク専用駐輪場
バイク’s 24H 第2

兎我野町15-14-15(御堂筋沿い

スタジオ/ライブハウス/クラブ

ハードレイン

ハードレイン

兎我野町3-19
水野ビル
HARDRAIN

スタジオ100

studio1000

兎我野町5-6
スタジオ100

PLUS culture

PLUSCculture

兎我野町3-18
ファイブコート梅田1F
PLUS culture

shall we dance cafe

shall we dance cafe

兎我野町4-9
shall we dance afe

do with cafe

Do with cafe

兎我野町9-23
聚楽ビル B1
do with cafe

coming soon

兎我野町は、
西に新御堂筋、北に名刹・大融寺と阪急東通商店街、南に寺町通と露 天神社(お初天神)に囲まれた、大阪キタの東南エリアです。

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